旧弘前偕行社
旧弘前偕行社 旧弘前偕行社

旧弘前偕行社とは

 社名の「偕行」とは、詩経に収められている漢詩「修我甲兵 興子偕行」に由来します。
 偕行社は、陸軍創設まもない明治10年(1877)、
陸軍将校の親睦・互助・学術研究の集会所(将校倶楽部)として、
東京偕行社が設立されたことが始まりで、国内外各地の師団司令部所在地に拡充されていきます。
将校准士官等による親睦、「偕行社記事」の刊行、戦争犠牲者等の救済などが主な活動であり、
会員の会費によって運営されていました。
 このほか、将校准士官等の軍装備品(軍服、拳銃、脚絆等)や行事記念品などの製作や物販もしており、
大阪や広島では附属の小中学校の経営がされていました。
 最大で国内58ケ所、海外8ケ所にあった偕行社は、
現在国内6棟、台湾に1棟の建物が現存されています。

旧弘前偕行社の特徴

 旧弘前偕行社は、ルネサンス風様式を基調とした建物で、
木造平屋建で簡明な洋風建築ですが、規模が大きく要所に配された華やかな細部意匠が特徴です。
 正面中央上部の屋根窓、軒廻りの持ち送り板、
窓廻りの飾り枠や上部に付けた櫛形あるいは三角形の破風飾りなど、豊かな装飾を備えています。
玄関廻りは、ポーチに鋳鉄柱を用い、
車寄せの妻飾りとして唐草模様と陸軍第8師団に因んだ「蜂」のレリーフが印象的です。
館内の大多数の窓ガラスは、気泡が入ったり波を打っておりレトロな雰囲気です。
このほか、各部屋の漆喰天井の繊細な中心飾りは当時のままで、
暖炉は外国製タイル(一部は欠損)が張られ洗練された意匠を配しています。
 旧弘前偕行社は、東北地方に残る陸軍関係施設の代表的遺構で陸軍省営繕組織による建築意匠の展開が示され、
津軽を代表する棟梁が建築したことなど建築的な観点からも保存価値の高い建物です。
終戦後、地域医療・福祉分野の先駆者であった故鳴海康仲氏の創設理念に基づき、
弘前厚生学院の現校舎として次世代を担う人材育成を行う教育施設となって今もなお大切に活用されています。

材料・構造 木造平屋建
屋根形式 寄棟造
屋根葺材 桟瓦、鉄板
平面積 958.579㎡
桁行48.783m(主棟) 29.967m(東棟)
32.421m(西棟)
棟間10.908m(主棟)
7.272m(東棟) 7.272m(西棟)
棟高 9.381m(主棟) 8.304m(東棟)
8.304m(西棟)